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外資系経理マンのページ

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小説(2)

おう、松田さんね。わたしはね、縁というものを大事にするんだよ。こうして君がここに来た。これもなにかの縁だ。ところで、いつからこれるんだ?あしたから、アメリカの本社にいくからね、君の出社可能な日を知りたい。」
松田はあっけにとられた。ファーストフードのアルバイトじゃあるましし、面談即決?茫然としているところに さきほどの女性がコーヒーをもってきた。シュガーとミルクを置こうとしたが、もともとブラックを好むので、それは断った。
「今月末決算書だすんだよ。一刻も早くきてほしい。」
しかし、決算書がこの月末なら、決算はおわっているはずだ。それともまだ終わってないのか?それよりなにより、これが面接なのか?松田の頭は混乱をきたした。
そうだ、社員を紹介しとく。江頭君、
さきほどの女性が顔をみせた。
「彼女は江頭君。国際部の部長をやってる。」
 若いのに国際部長か、できる女性なんだ、とその時点では思った。
 「あとなあ、社内を案内するか、そうだ、まだ君の返事をきいてなかったなあ。入社の意思はあるかい?」
「あります。明日からでも、と思います」
 言い過ぎかとも思ったが、過剰すぎるほど言ってもバチはあたるまい。これは、面接の際によく言われることだ。
深田はまず、経理のブースへ案内した。安藤と赤城、二人いて、それぞれ安藤は、ロータス123のシートになにやら 打ち込みをしていて、赤城は、請求書の束の入ったファイルを、必死になってめくっていた。
「紹介する。こんど経理に来てもらう松田君だ」
 安藤は、目をパソコンのモニター3センチくらいの至近まで目を近付けてデータを打ち込んでいて、深田に気付かない。
「安藤、あんどう!」
 我にかえった安藤が 深田の顔を見た。
 「あっ、」
 「あっ、じゃないだろう。今度 経理にきてもらう松田君だ。頼むよ。」
 「そうだ、赤城君もな」
「つぎは 開発だ。開発と言っても、アメリカで開発した商品をローカライズするのが仕事だ。神野君。」
スポーツ刈りで、あご髭をはやした男が、ゲームに向かいながら、これまた深田の声など聞こえないかのように手を動かしていた。
「ちくしょー」
「じんちゃん、今度 経理にきてもらう松田君だ」
 「はじめまして」
 「よし、と次は営業だけど、いま 誰もいないなあ。マーケテイングは、休みか」
そのとき移動対電話が 着信音を発しはじめた。深田社長は、たえず片手にこのずっしりとした移動体電話を持ち歩いており、なにやらボタンを押すと電話にむかって英語でなにやら話しはじめた。
「松田君、悪いなあ、ちょっと長引きそうだ。来週から来れるね」
深田社長は、受話器を押さえながらそういう。
「ええ、まあ」
「じゃあ来週月曜日9時半だからね。」
松田はかつて 面談即決の会社は良くない、避けるべきだと就職転職の指南書に書いてあったのを覚えている。つまりは、人の出入りが激しいか、もしくは、超過酷労働でつぎつぎ人がやまていくか、いずれにしても難しい会社ということだが、このときなんとも言い様のない心地よさをその深田社長に感じていた。それが、ひょっとしたらカリスマというものかもしれない、と思った。そうこうしていると、さきほどの女性 江頭が領収書と封筒を持って松田のところに来た。なにか 松田の動きを見られているようで、少々恐い感じもした。
「ここに住所と名前、印かん持ってたら押して、なければサインだけでいいです」
はあ、この人は経理の人なのか?同僚?いやいや さっき深田社長は 国際部長と言ってたし、さっきは赤城さんと安藤さんだけだった。どういうことだ。
そんな疑念もあるにはあったが、交通費をもらえる喜びのほうが勝っていた。松田はサインを終えると封筒を 内ポケットにしまい、社長室、そしてアンテラジャパンをあとにした。この間 わずか20分弱であった。

帰りの電車でも、はたして自分が内定したのか疑心暗鬼このうえなかった。川崎駅で東海道に乗り換えるために下車したが、家に電話していないことに気が付き京浜東北線のホームの公衆電話から電話した。
「もしもし、俺。来週から来てくれって」
一瞬 妻が沈黙になったのがよくわかった。それはそうだ。一回の面接で内定なんて思ってもなかった。妻にしても同様だろう。逆に「大丈夫なの?その会社?」ときた。
 私としては 社長深田の人柄というか、背丈はそんなでもなく、その一方で、英語を巧みにあやつり、どこか人を引き付ける魅力を 有している。それが、これまで接したことのない社長像でもあった。
「まあ、なんとかなるんじゃないか?アメリカの親会社しっかりしてるしね」
 それに外資系という未知の世界に入ることに興奮を覚えたのも事実である。そして30代になったばかりで 新しいことを吸収したいという思いが、松田の背中を押したのはたしかだし、また、これ以降、松田もジャーナリズムへの飽くなき挑戦もついえ、新しい経理という世界にどっぷりとつかることになるなど、松田にとって、それは転機となったのは間違いなかった。
 この日は、前職で得た退職金の残金と、アンテラでもらうことになる年収から、今後の家計をどう運営していくか、松田は妻の恵と電卓を片手に相談した。500万の年収と恵のパートの120万。苦しくないといえば、ウソになるが、なんとかやりくりしていくしかない。マンションを買って2年たつがあと3年たつとステップ償還が終わり 返済額が1.5倍にアップする。それまではなんとかなりそうだが、3年後を見据えると なんとか年収をアップしてもらえるように頑張るしかない。
 初出社の日、と松田は自覚して出社したが、深田の姿と国際部長の江頭の姿はなかった。
 「安藤さん、おはようございます。」
 安藤は身体が悪いのか、大きな薬の袋を がさがささせて 薬を取り出そうとしていた。
 「あっ、松田さんですか。ちょっと待っててくださいな」
 ごっつい身体のわりには か細い印象の人だ。安藤は袋のなかから、カプセルとか粉末とか5種類の薬をだし、コップに注がれた水を含んでは ひとつほとつ薬を飲み込んでいった。
 「赤城さん、松田さんの席を」


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